無名のマインドセット

こんにちは。
今日は久々のバイト休みで一日フリーだ。
もちろん、ギター、歌やDTMの練習に浸かるつもりだぜ。
そういや、この前地下トンネルで弾き語りの練習をしている時に、
初めてギターの弦が切れました。
切れた瞬間は相当、萎えましたが徐々に切れた弦を見てると嬉しくなっちゃって
一人で笑っちゃいました。
理由は簡単で切れるという事はそれだけ練習したんだなと思ったからです。
次の日には弦の張替えに行って来ました。
自分にはまだまだ練習量が足りない。この気持ちはずっと抱えて生きなければ停滞の一歩だと思いますので人一倍いや、数倍、何十倍もしなければなりません。
自分は口先だけで終わる人間にはなりたくない。
結果が報われなくとも決めたことをやり遂げられる人間になりたい。
それは、シンプルな事で難解な事だと感じます。
その末にどこかに辿り着けたとしても、着けなかったにしても、
先の事は誰にも分らないから面白いと思っていて、
それには不安が必ず潜んでいると思うんですけど、
その不安を打ち砕く、自分を信じ続けられるか?
これがその人間の本質に大きく影響してくるパワーだと思います。
逆境だとも、その中でやれる事は何があるのかを考える。
決して、無理だ。だなんて、切り捨てないで微かな光があればそれを信じる。
正直、みんなはじめは赤ちゃんで何もできない地点からスタートしている。
もちろん、環境によっては格差はあるかもしれない、
だけど、いい大学に行っている人間は必ずお金持ちばかりかちゅー話。
全体の比率を見ればマイノリティーになるかもしれないけど、
環境さえも飛び越えて生きてきた人間もいるはず。
そんな人は特に尊敬している。真似をしなければいけない。
そう簡単な話じゃない事は分かっている。
けれど、上には上がいるこの精神を忘れずに己にうぬぼれる事なく生きていこうと思う。

今回は以上です。
さよなら。



ようやく、かな?

ども。きーちです。
いきなりなんだけど、みんなは欲しい物とかってありますか?
俺は、少し前までは、
「あるっちゃあるけど鮮明には見えていない。」
こんな感じだった。
つまり、抜け殻のような生き方をしていた。

で、約一年前くらいかな、
というかずっと前から胸に秘めてはいたものだった、
好きな事を、夢を追う事を心から決意した。
自分は正しい道を歩んでいるのか、これでいいのか、不安が最初は襲ってきた。
それは、人生で初めて人生について真剣に考えた成果だと思ったわけだけど。

まず、なぜ、「今更、夢を追う事を決意したのか?」 の言い訳聞いてくれ。


今までの自分は単純に臆病で、逃げ腰で、素直ではなく、めんどくさがりだった。

要は、大きな口ばかり働く、一番タチが悪い、
まさに、
井の中の蛙大海を知らず」
を、絵に書いたようなクズ的存在。

んで、心ではやりたいと思っていてもしなかった。
でも、ほとんどの人間がそうして大人になっている様にも思う。
妥協しながら生きている。
第一希望より第二希望を手に取る感じ。

そんな中で、
今、自分がやろうとしている事は、
命を宿した上でほんま大事な事だと思っているんだけど。
(餓鬼っぽいセリフやな、、、。)

ただ、夢や自分のしたい事を尊重する事って大事じゃん。
小さい頃は良い事だと知らされていたよな、たしか、、、?
だけど、なぜだろう。

「二十歳を超えた立派な人間が何をしているんだ。」
「今さら何をしたって無理だ。」「普通に働けよ。」
なんて、「心のどこかでは思われているかもしれない。」と、なってしまっている。
それは一種の自己陶酔や自意識過剰に値するかもしれない。

でも、そういう風潮があるのも肌で感じない?
これって社会というのは都合が良いって事?知らねーけど、

ただ、言えることは、
この気持悪い幻像がいつも頭の片隅に居て、
もうすっかり住み着いてしまっているという事実に手も足も出ない事が悔しい。
だから、苦しい時間が定期的にやってきては不安が襲う。


こんな広い地球で考えればちっぽけな悩みだけど、
でも、人間なら誰しも陥ってしまうネガティブな時。
皆もそんな時あるよね?
そう思うと少し気が楽になる。

だから、不安が襲うたびに名もなき連帯責任を振りかざす。
自分の中ではこの勝手すぎる思考は鼻につくけど。

でも、今さら気付いたんだが人はそれほど他人に興味がない。

社会の不満を少しぼやいたけど。
俺の勘違いだったのかもしれない。

結局何が言いたかったのだろう。
んま、だけども、今思う事を書いていこう。と、思ってる。
飛躍した文になるかもしれない、
愚痴も書くかもしれない。
何のために書くのかも決まっていない。
だけど、きっかけや繋がりを信じて徒然と書いていく。

そんな場所にしたい。

欲を言えばこの文を読んでくれた人の中で、
少しでも参考になったり、共感してくれたり、救われたりする人が居れば自分の人生が生きた心地がする。

こんな場所にしたい。

 

 今日はここまで。じゃあね。